20年目を迎えるにあたって。
2004年の12月11日、大切な父が76歳で他界してから、今日で19年間が終わり明日から20年目が始まります。
思い返すと、当然19年間なので、色々なことがあった訳ですが、一言で言うなら感謝の気持ちしか思い浮かびません。
患者さんがなかなか来なかった引き継いだ当初は母から、淡々ときちんとしたことをすれば何にも心配することはないのよ、父親も同じだったのだから、と励ましてもらいました。
患者さんが有難いことに沢山にいらっしゃるようになってからは、先ほどの母のみならず姉もイタリアから来てくれて仕事をサポートしてくれるようになっただけでなく、本当に多くのスタッフが献身的に仕事をしてくれ忙しくても嫌な顔ひとつ見せず夜遅くまで仕事をしてくれました。
仕事でもう少しこんな風にやっておけば良かったかなあと猛省している時に、先輩から、誰でも失敗してそれを許してもらい、医者は成長させてもらってきたんだよな、自分もそうだったよ、とそっと声をかけてくれて、その後に、そんな信頼も出来ないかもしれない未熟者の私に患者さんを紹介してくれて励ましてくれたこともありました。
2022年7月25日に、『病室は、教室だった』をかざひの文庫より出版させて頂き、その中でも沢山の自分の失敗を書きましたが、1999年に医師となって研修医時代のみならず、今の今まで、大なり小なり、こうしておけば良かったのかなあという失敗を沢山してきました。医師でいる限り、その懺悔の気持ちを一生背負い続けて生きていくしかない訳なのですが、ほんの数秒でも過去に戻れないこの瞬間に生きる者として、これから目の前でお逢いする患者さんには、より良い医療をという気持ちを持つことしか出来ないのです。
来年の1月で50歳を迎えることになり、より家族との時を大切にしたいと思うと同時に、縁あって最高のボディービルダーの1人に40も後半になって出逢うことが出来て、また新たな人生における目標を見つけることが出来ました。
慈恵医大を卒業して京大で学ばせて頂いた際の恩師の赤水先生にも、金本先生にも今でも細々とした質問に答えて頂けていることも、伊藤病院前内科部長の吉村先生に勉強したいことをお伝えすると、大変多くの学びの環境を与えて頂けることも、家族が元気でお帰り〜!と言ってくれることも、何もかもが感謝ですね。
様々な出逢いがあり、全く異なる分野で努力する方々との出逢いも医師として様々なお話をする場においてとても貴重で、そんな人の繋がりを作ってくれた真美さんや、日暮さん、忠伸さん、美味しいものを作って下さる多くの料理人の方々にも、そして時々声をかけてくれる先輩や同級生にも感謝の言葉しか見つかりません。
20年目となる私にとっては、NHKディレクターに、先ほどの自らが書いた『病室は、教室だった』を見つけて頂き、NHKの45分番組に出演しませんか?と声をかけて頂けたことも様々な方に感謝しなければいけません。
来年の1月、チョイス、という番組で、私のような若輩者ではありますが僭越ながら橋本病について色々お話させて頂きます。既にスタジオでの収録も含め、全ての収録が完了し、その中でなるべく多くの方の心に届くようにお話させて頂いたつもりですが、なかなか時間の限りもあり難しいものだなあとも感じましたし、更に色々な媒体で発信していけるような挑戦をしていきたいと思います。
内科学に生きる者として、問診や診察法の能力をより高め、栄養学の知識を増やし、自らの肉体を改造し、無駄な医療に溢れる中、本当に必要な医療を目の前に現れてくださる患者さんに提供出来るように一歩一歩成長していく所存です。
父のように外科医でなくても、多くの人に内科医として感動して頂ける医療を目指して。。。