16年前の今日、父が他界した。
祖父母が亡くなる時の記憶も僅かばかりあるが、祖父母とひとつ屋根の下で生活していた訳ではないので、子供ながらにそれほど重大なことに感じなかった気がする。しかし、当然かもしれないが、父の死については、亡くなる瞬間も、亡くなってから看護師さん達が綺麗に身体を拭いてくださる光景も鮮明に覚えている。
未だにどうしてそんなことを看護師さんに言ってしまったのかなあと後悔する言葉がある。看護師さんから、最後にお父様の身体を拭かれますか?と聞いて頂いた際に、大丈夫です。と答えてしまい、ただただ呆然と父がベットに横たわる姿を眺めることのみしか出来なかったのだ。
30年間、自分がこの世に生まれ、少しずつ成長し、小学校、中学、高校、大学、アメリカ留学、京都への転居、研修医、そして一内科医になるまでに、いろんなことを父から学んだ。育ててもらい、教えてもらい、厳しくしかってもらい、励ましてもらって、最後にお世話になりました、という想いで、父の身体を拭きたかったのに、それを素直に出来なかった。後悔先に立たず、という言葉があるが、これほどまでに強烈にその言葉の重みを感じる場面はない。
父から学んだことはもちろんたくさんあるが、何よりも私自身大切にしている言葉がある。
人事を尽くして天命を待つ。
自分がやるべきことをやればそれでいい。あとは神のみぞその先を知るのだ、という潔さが必要なのだよ、と。
この言葉を父から学んでから、今まで、この精神を忘れたことは一度もない。勉強も身体作りも、家族への想いにおいても。無論、私の仕事の医療現場でも。
いま、日本を含め世界中が新型コロナウイルス感染症の流行に怯えている。感染したら死んでしまうかもしれない、感染して治っても長期間、後遺症に苛まれるかもしれない、など。
でもこのような時だからこそ、多くの方に、人事を尽くして天命を待つ、という気持ちになって欲しいと、一医療者として、心から願う。
マスクをつけ、手洗いをして、他の人との距離を保つことも大切だが、もっともっと大切なことがある。日々の睡眠に、日々の食事に、そして日々の身体作りに意識を向けることこそ、最高の感染症対策であり、それを自らを律してやれているかを振り返って欲しい。そして自分なりにそれが出来ていると思ったら、それ以上のことは出来ないのだから悩んでも、恐れてもしょうがないことなのだという潔さをもって欲しい。
私自身は、毎日医療現場において新型コロナウイルスPCR検査に携わっているが、1mmも怖いと思ったことがない。自分がやるべきことを必ずやっているよね、という自負があるので。どんなに気をつけていても、それでも感染してしまうかもしれない。そうなったら、そうなったでしょうがないのだ。やるべきことをやってきたなら何も後悔は無い、その気持ちを私自身も失ったことがないが、少なくとも私の周りの方、家族、クリニックスタッフのみならず、来院される全ての患者さんには、そう思って、少しでも恐れを減らして、気持ち良く自信を持って生活して欲しい。
時々、父が生きていたら、どんな言葉をかけてくれるかなあと想うことがある。天国から見守ってくれている父に恥じない医療を誠心誠意やって、家族みんなが仲良く、楽しく過ごせたらそれ以上の幸せはない。そしてここに来たら気持ちが落ち着く、不安が減った、と患者さんから思ってもらえたら医者冥利に尽きる。
来院される1人でも多くの方の不安を減らし、自らが治ろうとする力を最大限後押しする医療をしていきたいと強く想う。
神戸の恩師に会いに伺う道中にて。。。